The World of M

大好きなことやもの(演劇・読書・ときどき日常)を徒然書いています

宝塚歌劇 月組「鳳凰伝」 人間の過去への執着について考える

懐かしい2017年の観劇納め、鳳凰伝 カラフとトゥーランドット / CRYSTAL TAKARAZUKA

私は1回しか観劇できませんでしたが、雨の中横須賀まで行った思い出です。

それにしても都内から横須賀は遠かった(笑)

珠城さんを追いかけてどこまでも行った1年の幕じめで、本当に楽しかったです。

ちょうどこの週末にスカイステージでも放送していましたよね。久しぶりに観ましたが、やはり自分の置かれている状況や心境、そして経験を積むと、お話の感じ方も全然違うもので、「手に触れられる存在するもの」と「手に触れられない存在しないもの(概念)」と、命について、なんだか深〜く考えさせられました。

登場人物ひとりひとりにそれぞれの思いがあり、立場を考えながら観ると、とても切ない。そして、トゥーランドットが国を治めるために行ってきたことと、いろんな人の犠牲の元の心境の変化をもたらす、カラフという存在。。

 

改めて、自己満足で作品の解釈を考察してきます。

 

⭐️作品紹介(歌劇団公式ウェブサイトより)⭐️

グランド・ロマンス『鳳凰伝』-カラフとトゥーランドット- 脚本・演出/木村 信司
トゥーランドット」は18世紀の劇作家カルロ・ゴッツィ作の寓話劇であり、宝塚歌劇においては白井鐵造が1934年に作品化、1952年には春日野八千代による再演で話題を呼びました。2002年には、和央ようか花總まりを中心とした宙組が21世紀版と銘打ち『鳳凰伝』—カラフとトゥーランドット—を上演。脚本・演出を担当した木村信司が、第12回社団法人日本演劇協会賞を受賞するなど、好評を博しました。それから15年の時を経て、珠城りょうと愛希れいかを中心とした月組全国ツアーメンバーが、高らかに愛の力を謳いあげる、壮麗でドラマティックな物語に挑みます。

 

 

あらすじ

国同士の争いが絶えない世の中、自国を追われた王族のカラフは、行方知れずになってしまった父・ティムール王を探して旅をしていました。ティムール王を見つけ、その世話をしてくれていた奴隷のタマルも見つけ、北京にたどり着きます。北京では、民の気持ちを逸らすため、皇帝の娘・トゥーランドットが、自分への求婚者へ謎を与え、それが解けなければ処刑するという行事が繰り返されていました。

「過去自分が王子であったことは夢、国も実態のないもの」と悟りを開いていたカラフは、トゥーランドットのあまりの美しさに、「トゥーランドットを自分のものにする」と謎に挑みます。

一方、トゥーランドットは、1000年の昔、中国のロウ・リン姫が他国の王族に辱められたという史実に怒り、その仕返しとして、他国の王族を処刑していました。

カラフは、トゥーランドットの謎に全て正解し、トゥーランドットと結婚する権利を得ますが、トゥーランドットはそれを拒絶します。カラフは、「夜明けまでに私の名を当てたら、トゥーランドットの勝ち、首をくれてやる」と挑戦を出します。

トゥーランドットは、北京の民全員に、カラフの名を当てられなければ、全員処刑と告げます。そんな中、カラフに恋心を抱いていた、囚われの身である他国のアデルマ姫一行は、カラフの父・ティムール王と、その世話をしている奴隷のタマルを鞭打ちにし、なんとかカラフの名前を言うように拷問します。

カラフを愛していると言うアデルマに、タマルが死をもってカラフへの愛を証明します。そして、カラフの名を知るものはいなくなります。

最後に、カラフは約束の夜明け前に、トゥーランドット本人に、「我が名はカラフ」と告げ、トゥーランドットを勝たせようとします。そこに本物の愛を見出したトゥーランドットは、「この方の名は愛です」と北京の民全員に発表し、新しい中国の皇帝としてカラフを迎えます。

 

「実態のないもの」にかける命

この鳳凰伝のお話って、解釈の仕方がたくさんありすぎて、難しいですよね。私は毎度難しいと思って見ていますが、あまりにもメッセージが詰まっているので、全部書ききることができない気がします(笑)。

個人的に、この作品でとても心に響く言葉が「全ては夢、人は砂」と言うフレーズです。過去の栄光はただの幻想であり、存在するものではない、と言う意味かと私は解釈しています。

カラフはかつて戦に勝利した一国の王子でしたが、今は流離の身で、過去の栄光にしがみつかず、生きている象徴なのでしょうか。

実態のあるもの、つまり、この手で触れるものしか信じない、と言うカラフの生き様で、考え込んでしまったのはこのセリフ、

「国も手に触れることはできない。自分の手で触れられないものに命を掛けるつもりはない」

あまりにも命を削って仕事してきたせいかも知れませんが、実態のないものや最終的に自分を苛むようなものに命をかけても仕方ない、と言うように聞こえてしまった、燃え尽き症候群真っ最中のサラリーマン私…(笑)

 

過去の栄光にしがみついて生きる人って多いと思うのです。その時に持っていた自信や優越感が、生きる糧になっている。その経験は大変素晴らしいことなのですが、それにしがみついていては前を向いて生きてはいけないですよね。

実際に、カラフより前にトゥーランドットに求婚し、謎が解けずに首を切られて行ったのは、他の国の元王族たちで、もう一度一国の王位という身分欲しさに、トゥーランドットに求婚したのではないだろうか、という想像を掻き立てられます。

それに対して、カラフは過去や自分の身分は「砂」のように消えて無くなり、実態のないものと同じであるとわかりきっています。だからこそ、本当に欲しいものがわかり、それに立ち向かい、成功すること(トゥーランドットの愛が欲しい、その謎解きに成功する)ができたのではないかと思います。

 

組織において必要なものと、それを教えるメンターとの出会い

そして、また、トゥーランドットの心の中も、私は見ていてとても辛いのです。

とても冷徹に、国を治める上で、他国の王子たちを処刑して北京の民の目を政治から外らせているのですが、最後に、「自分が女だから、国を任せてもらえないのか」と泣き崩れます。自分は一生懸命やってきた国を守るための行為が、意味をなしていないと知った時、自分の存在さえも疑ってしまう描写に取れました。

 

私個人の見解ですが、トゥーランドットの父である、中国皇帝は、本当に国を治める立場として、トゥーランドットには、冷徹なやり方ではなく、民からの信頼を得るやり方に、気がついて欲しかったのではないかと思います。

そこで、カラフという他国の王子の存在が現れ、カラフが「国を治めるのに最も必要なのは民からの信頼だ」というマインドの持ち主であることに気づき、彼にトゥーランドットを導いて欲しいと思ったのではないかと。。。

 

組織において上に立つ以上はやはり現場からの信頼が大切だ、と良く言うものですが、自分の私利私欲のためや、何かへの復讐のために、現場に綺麗事を言って、実際は苦しめていたり、不正がばれないように何か別のことに目を向けさせたり。それが過剰になりすぎて止められず、本人も意固地になって歯止めが効かない状況の中で、良いメンターと出会い、物事を正しい方向に軌道修正する作業が必要不可欠です。

この鳳凰伝のお話の最後、カラフとトゥーランドットが結ばれ、カラフが次の中国皇帝となった暁に、カラフは「死ではなく命を」と、今まで流れた血は丁重に葬い、新しい戦いのない世の中を作る、と物語は終盤を迎えます。この物語の中に現れたカラフという存在が、一国の王として、トゥーランドットをパートナーとして導く存在となり、二人で、国を民と一緒に作っていく、そんな一つの関係性を築き上げていくように感じられます。

 

組子たちの輝きと全国ツアー公演の意義

カラフを演じられた珠城りょうさんも、トゥーランドットを演じられた愛希れいかさんも、とにかく美しいの一言に尽きるこの作品。

全国ツアーは組子も大劇場公演の半分なので、いろんな人に見せ場があって嬉しいなと毎度思います。私はこの作品では、アデルマ姫を演じた麗千里ちゃんなんて、本当に華麗で可愛くて、こういうお役が経験できて本当に良かったよな〜と思います。

 

そして、私も地方公演(名古屋の中日公演)で宝塚を初めて見た身です。小さい頃に宝塚を全国ツアーで初めて見て、そこからタカラジェンヌを目指す方も少なくないはずです。全国ツアー公演に参加するメンバーに抜擢されるのは、大変誇らしく、劇団という組織に大きな貢献ができることだと思います。

企業として、未来のタカラジェンヌになりうる人材を確保するためのプロモーションも兼ねていると思いますので、本当に貴重な機会ですし、重要な任務だろうなあと感じます。

 

まだまだ新型コロナウイルスの影響も多く、県をまたいでの移動も自粛される中ですが、平和な世の中が早く戻り、全国ツアーも心配なく行える日が来ることを待つばかりです。

本当に、毎週のように観劇ができていたことは、当たり前ではなく、貴重な体験だったのだと、思い知らされる毎日ですが、これからも舞台文化の発展が止まぬことを、ただただ祈っています。