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宝塚歌劇 星組「眩耀(げんよう)の谷 ~舞い降りた新星~」東京開幕! 人生の選択肢について考える

東京宝塚劇場でも、公演が再開しましたね。東京近郊のファンにとっては待ち望んでいたこの日。私は8月1日にライブ配信で観劇し、劇場には8月中旬に一回行く予定です。感染対策も万全で行なっている宝塚公演。このまま何もなく、東京の千秋楽まで駆け抜けていきますように。

 

それにしても、私はこのお芝居についてかなり色々考えさせられました。自分の人生で何を選択するか、自分に合ったところを模索して行くこと、なんとなく、私たちの人生でも立たされる岐路みたいなところ重なる部分が多い内容でした。

いつも通り私の独断と偏見で感想を書いていきます。

 

⭐️作品紹介(歌劇団公式ウェブサイトより)⭐️

幻想歌舞録 『眩耀(げんよう)の谷 ~舞い降りた新星~』 作・演出・振付/謝 珠栄
紀元前の中国大陸に西の地からやってきた流浪の民“汶(ブン)族”は、彼らの神“瑠璃瑠(ルリル)”の使いに導かれ、豊かな自然と土壌を持つ“亜里(アリ)”という地にたどり着いた。そしてその地に「汶(ブン)」という小国を築きあげる。
紀元前800年頃、勢力を拡大する周の国は、汶族の首領・麻蘭(マラン)を征討し、汶を攻略。ここに汶族は周国の統治下に置かれる。その美しい亜里の地に、数々の戦の手柄を持ち麻蘭征伐の勇者と称えられる管武将軍と共に、新しく大夫となった丹礼真(タンレイシン)が赴く。志し熱く理想にもえる礼真は、敬愛する将軍から汶族の聖地と呼ばれる“眩耀の谷”の探索を命じられる。汶族の残党(麻蘭の手下)が潜んでいるというのが名目上だが、周国王宣王は、谷にある黄金が目的。そんなこととは露知らず礼真は、ある日神の使いの幻を追ううちに、一人の汶族の男と遭遇し、眩耀の谷を見つけることができる。しかしそこで出会った汶族の舞姫・瞳花(トウカ)とその男により、礼真の運命は思いもかけぬ方向に流されていく。母国を信じる礼真に待ち受ける試練とは、そして希望とは…。
謝珠栄氏が礼真琴と舞空瞳を中心とする新生星組のために書き下ろす、幻想的な歴史ファンタジーにご期待下さい。

 

 

あらすじ

おはなしのあらすじは、歌劇団のあらすじがしっかり書いてあるので、簡単に。

主人公である、周の礼真が、赴任した亜里の地で、汶族という少数民族の聖地と呼ばれる眩耀の谷を探します。その過程で、汶族との交流を通し、自分の信念や進むべき道を見つめ直し、さらには出生の秘密を知り、最後には汶族の長となって国を治めて行くまでが描かれています。

 

私はこの礼真の生き方というか、彼の人生の選択について、とっても考えされられることが多かったです。

最初は、自分が崇拝している上司に仕えることができて、とても意気込み、早く手柄を出したいと、必死に働きます。しかし、汶族との交流を通し、周という国が汶に対してしてきたこと、自分が汶族にとって大切なものを奪おうとしていることに気がつきます。

自分は周の人間として、これ以上汶の人々を苦しめることはできないと、谷の在り処がわかっても、上司には伝えず、自分は政府から去ることを決意します。そして、自分の出生の秘密を知り、汶族が亜里の地から離れ新天地で暮らせる様、汶族をリードし、再スタートを切るのです。

 

自分にとって大切なことを貫く信念

おそらく、週という国に仕えて、出世をすることは、礼真にとって大切なことだったのだと思います。しかし、持って生まれた心の優しさから、きっとそもそも上に上がっていくことはあまり考えていないタイプで、世の中は本当に善良なもので全てが決まっていると思っていたのではないかな〜という印象です。(あくまでも私見です)

しかし、汶族との交流を通して、自分が仕えている国の考え方や上司のやり方は、自分の信念に背くことに気がつきます。

 

ずっと自分が信じていたものに、さよならするのってとても勇気がいるし、本当に辛いですよね。例えば自分がずっと大好きだった会社を、小さなことがきっかけとなって信頼が置けなくなってしまった時。心に嘘をつきながら働き続けることもできますが、それが苦しくなり、自分らしくある為に、退職するという選択をすることもあると思います。

きっと優等生で、自分の与えられたフィールドで、純粋に、真摯に仕事をしてきた礼真にとって、自分の憧れていた人たちに対して、信頼がおけないと気が付いた時の絶望感は、計り知れないものだったと思うのです。それでも、自分の信念を曲げない為に、自分の置かれている環境から離れるという決断をすること。その勇気と、その時の複雑な感情の現れに、思わず感情移入してしまいました。

 

新しい選択肢を模索すること

自分が汶族の王であると知った礼真は、「自分には王になる力などない」と絶望しますが、麻蘭の霊に、「王に必要なのは力ではなく、器だ」と言われます。

その言葉を信じ、谷を探している周の兵士から逃れる為、汶族にとって安住の地だった亜里の地を離れ、新たな土地を探し、そこで民族を繁栄させるよう、汶族をリードします。

汶という民族を守る為にとった判断ですが、お話の展開は結構目から鱗でした。

きっと、「周と戦って自分たちの土地を守り抜く」という構図も浮かび上がるような展開ですが、礼真はリーダーとして、あえて自分たちの土地を捨て、みんなで一緒に新天地を探すという判断をするのですよね。それはきっと、今の汶族では周の兵士に勝てず、全滅させられてしまうという見立てのもとだったと思います。

 

私たちの日常の中でも、自分を苛む物事や人に、立ち向かって自分がボロボロになるか、自分の環境を変えることで、生き延びるか、迫られることもあるのではないでしょうか。ほとんどの人は、それでも組織から出ることが怖くて(勇気がいることです)、自分に嘘をついてずっとそこに留まり、戦い、苦しい思いをすることもあると思うのです。

そんな時って、人間は盲目になりがちです。

この作品は、「自分らしくある為に、戦わずして、新しい選択肢を求めることをしても良い」ことを肯定してくれた様に感じます。

 

私は、礼真は、周の様に大きな組織にいることが必ずしも幸せではなく、汶という少数民族の中で、身の丈にあった生活をし、みんなが幸せに暮らしていくことを自分で選択したのだと思います。

大きな組織にいると、どうしてもそこにいることが自分のステータスになってしまい、理不尽で間違っていることや、自分らしさを失っていくことがあったとしても、我慢してしまう人、多いと思うのです。

小さな組織でも、みんなが助け合い、背伸びをせず、尊重しあえる組織に属する方が、自分にとって幸せなのかもしれない。その為に、「今の土地を離れる」という選択があっても、良いのですよね。

 

そして先に触れたこの

「王に必要なのは力ではなく、器だ」

という台詞ですが、これはもう素晴らしい言葉ですね。

 

リーダーにとって必要なのは、力ではなく、組織に対して、人に対して寛容であること。自分の利益ではなく、その組織に属する人みんなが幸せになることを考えられる人。

 

改めてリーダーにとって必要な資質として、考えさせられた台詞でした。

 

新生星組宝塚歌劇団に寄せて

本当に、新生星組の幕開けにふさわしい壮大なストーリーと、新たなリーダー像の表現。大変見ごたえがあるお芝居でした。新生星組の誕生、本当におめでとうございます!これからとても楽しみです❤️

コロナの影響で、きっと舞台関係者の皆様、毎日ピリピリした環境の中で過ごされていることと思います。宝塚大劇場では、体調不良者がいる為、大事をとって公演は中止。

この状況で休演を余儀無くされることは、みなさん大変悔しい思いをされていると思いますが、宝塚を動かしているみなさんと、観客を守るための正しい判断だったと思います。

劇場に行けることが当たり前ではない今、観劇という文化が新しい方向で発展してく可能性も秘めているのだと思います。観客として、ファンとして、観劇ができることに感謝をし、これからも劇団を応援していきたいですね。