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大好きなことやもの(演劇・読書・ときどき日常)を徒然書いています

宝塚歌劇 月組・博多座公演「長崎しぐれ坂」 感情の帰属先と外の世界への想い

なんだか思い立って、今日月組の長崎しぐれ坂を観まして。観れば発見がある植田先生の作品と、相変わらずの当時の月組の演技に思いを馳せている夜です。

♪なんなん長崎しぐれ坂〜 とか ♪神田囃子が聞こえる〜 とか、一回で覚えられるメロディが多いのも、宝塚の作品の魅力ですよね。

そして、グランドホテルで珠城りょうさんにすっかり魅了された私は、珠城さんを追いかけて、初めて九州に行きました!しかも日帰りで笑。

飛行機乗って博多座行って飛行機乗って帰る旅でした。(笑)

 

今日はそんな長崎しぐれ坂に見る人間関係の切なさについて、感想を語ります。

 

⭐️作品紹介(歌劇団公式ウェブサイトより)⭐️

長崎しぐれ坂 〜榎本滋民作「江戸無宿より」〜 脚色・演出/植田紳爾

轟悠湖月わたる檀れいによって、2005年に星組で上演され好評を博士た作品の再演。幼馴染の三人の男女が、全く違う境遇となって再会したことから起こる愛憎劇を、江戸末期の異国情緒溢れる長崎を舞台に展開致します。神田祭精霊流しなどの舞踊場面を織り交ぜ、華やかさの中に哀愁のある世界を描き出す作品を、2005年の初演と同じく専科の轟悠、そして月組の珠城りょう、愛希れいかを中心にお届け致します。

 

あらすじ

東京の神田で育った幼馴染の伊佐次・卯之助・おしまの三人が、それぞれの道を歩み、20年経って長崎で再会します。主人公の伊佐次は、江戸で盗み・殺しを多く働き、縄にかかることから逃げた結果、長崎の唐人屋敷で生活しています。唐人屋敷は中国(当時の清)貿易の拠点で、治外法権が認められており、長崎の奉行所も、そこに伊佐次がいるとわかっていながら、捕まえられません。

伊佐次の幼馴染の卯之助は「自分の手で伊佐次を捕まえる」と、江戸から流れて長崎で奉行として働いています。

そんな時、三人の中の紅一点、おしまが、大阪・堺の商人の囲われ芸者として長崎にたまたま到着し、その縁で卯之助と再会し、卯之助の計らいで、本当は入れない唐人屋敷の中で伊佐次に再会します。

江戸で育った三人が、幼い頃を思い出して、もう一度あの頃、江戸に帰ろう、と思いますが、唐人屋敷から出たら伊佐次は捕まり、処刑される身。おしまも、旦那と一緒に堺に帰るか、伊佐次と一緒に逃げるのか迫られます。

唐人屋敷の中には、伊佐次を「兄」と慕う他の無宿たちも住んでおり、「ここを出てどこかに」と思う気持ちがあるのに、この塀の外に出たら生きていけないものわかっています。それでも、唐人屋敷の外に思いを馳せる伊佐次をはじめとする皆。

それを、奉行所の一人として見張る卯之助ですが、卯之助も伊佐次を殺さないように、ずっと長崎で様子を伺っているのでした。

 

登場人物の感情と考察

三人の幼馴染の中で、伊佐次とおしまの恋と、それを見守る卯之助の心。本当は卯之助もおしまのことが好きだけど、同時に伊佐次のこともとても大切で、本当にこのストーリーの中で、一番優しい役どころでした。

それに、どんな境遇であれ、やはり故郷とそこでの思い出を懐かしむ気持ち。

きっと小さい時に思い描いた大人の自分とは、到底違う姿になってしまった自分たち。「江戸に帰って、また神田祭に」と、"江戸に帰る"ことを目的のように言いますが、本当は、幸せだった幼かった頃の自分たちと、「江戸」という土地を重ねているんですよね。

 

人間って本当に不思議だなと思います。いろんな国や街で生活をした経験を積めば積むほど、その土地での素晴らしい思い出に固執し、そこに帰ったらまた幸せになれるんじゃないかと錯覚すること、ありませんか。

きっと人間の本質は変わるわけではなく、その土地にまた行ったとしても、思い出が戻ってくる訳ではない。そんなこと、わかっているはずなのに、その土地での思い出と、その時に思い描いた自分の姿を比較して、その土地に帰りたいと願う。

幼い頃に過ごした土地や、素晴らしい出会いをした土地。その時の感情が、それを体験した土地やその時の環境に帰属するって、改めて考えるとなんだかとても不思議な感覚ですよね。

 

卯之助は自分もおしまに惚れていながら、伊佐次とおしまの仲を応援しますが、最終的には彼女にとってベストになることを考えさせ、伊佐次とおしまの両者の命を救うように働きかけます。

自分のことを幼い頃に庇ってくれた伊佐次とおしまを、最後まで救い通そうとする卯之助の姿、その気持ちの描写が、作品内であまりされていないからこそ、観客の私たちの想像力を掻き立て、その優しさに涙涙涙。。。

 

唐人屋敷の中で一緒に生活する無宿のらしゃ・さそり・らっこ・あんぺが馳せる塀の外への思い。生きるためにこの塀の中にいなければいけないけれど、本当は外に出てやりたいことがある彼らが感じる窮屈さを彷彿とさせます。

危険を犯してでも塀の外に出たいと思うその熱意は、人間の本質である外の世界への好奇心、自分はここで終わらない、という思いの現れなのでしょうか。でも、その危険を本当に犯すことは、人間とても勇気がいることです。そのジレンマもあるから、みんな余計に窮屈に思うのですよね。

 

私たちも、帰属する場所や組織に縛られて、その外を見てみたいけれども、その一歩を踏み出すと死ぬかもしれない(というのは大げさかもしれませんが)怖さを感じることがあります。そんな感情と、彼らの塀の外への思いに、共感せざるを得ないなあと、なんだか不思議な感情を体験しました。

 

それにしても、植田先生というか、宝塚オリジナルの作品は説明ゼリフが多くて、私、頭が悪いので1回観ただけれは100パーセント話を理解しておらず(^_^;) 改めて今日観て、こんな発見がたくさんありました。

 

ファンの妄想日記

 

そして、そもそもなんでこのタイミングで長崎しぐれ坂かというと、私、紫門ゆりや(ゆりちゃん)さんの「さそり」が急に観たくなり(笑)

私、珠城さんがもちろん大好きで尊敬しているのですが、月組を中心に観るようになり、ゆりちゃんも本当に好きで!!好きで好きでたまに変な妄想をしてしまうのですが、特にゆりちゃんがあんなロイヤルなお顔立ちで、いかにも王子様なのに、ワルな役をやる時のゆりちゃんが最高に魅力的と思っているのですよ。

 

それで、これも人間の本質ですが、やっぱりなんかちょっとワルい人に惹かれません?(BADDYか)

3日ぐらい前に、「ゆりちゃんがやったことのあるお役の中で付き合うとしたら誰がいいかしら」と、なんとも不毛なランキングを考え始め、その時に「さそりだ!!!!」と急に思い立ち、ブルーレイを引っ張り出すに至りました。

あの綺麗な顔であの髪型と橙色の着物の着流し方よ・・・そしてワルさ。(目がハート)

ということで私、妄想日記のカテゴリーも増やして、付き合いたい役ランキングをいつか書こうと思います(真面目)

 

久しぶりに長崎しぐれ坂みて思いましたけど、やっぱり珠城さん美しすぎました。あの目の形っていうか、演技の中で光る涙まで計算されているのではないかと思うメイク。等身大なお優しさや、本当にお人柄を表現されているように感じました。

まだ当時トップになって駆け出しの時代。とても余裕があるお芝居をされていましたが、当時どんなプレッシャーを抱えていらっしゃったのだろう。それを跳ね除けて演技をされていたと思うと、本当に、自分の未熟に喝を入れる思いでした。

 

最後に

途中私の変な妄想も入りましたが、本当に美しく哀しい長崎しぐれ坂。本当に当時の月組メンバーで観られてよかった作品です。江戸末期の鎖国時代の日本の世相の勉強にもなりますので、ぜひみなさんも機会があったら観てみてください。