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ロンドンナショナルギャラリー展 時代を象徴する美術の数々から見る、時代のニーズと芸術家のキャリア

上野の国立西洋美術館で開催されている、「ロンドン ナショナルギャラリー展」に行ってきました。入場制限もあり、チケットは30分毎の入場で区切られて販売されています。 

【公式】ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

 

 

今回の展示は、コロナウイルスの関係で展示そのものの開催期間も後ろ倒しになり、入場制限もされていたので、比較的ゆっくりとそれぞれの作品と向き合うことができました。

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それにしても、上野にあれだけの美術館・博物館が集合している文化の共存が素晴らしく、毎度感銘を受けます。

東京の美術館は、土日は特にどの展示もすごく混んでいる印象があり、行きたいと思いながらもなかなか行けずにいました。

今日は私が展示を通して感じたことをつらつらと書いていきます。 

 

ロンドン・ナショナルギャラリーは、市民に芸術を楽しんでもらいたいという思いから、市民の力で作られた美術館なのだそうです。

歴史の時系列に沿い、イギリスと他ヨーロッパ強国との経済的・政治的な関わりから発展していった芸術品の数々が観られるような展示内容になっています。

 

中世のルネサンス・宗教画の時代から、イギリス社会の経済発展とともに移り変わる美術品のニーズ、諸外国との関わりを通して変わっていく美術品の価値まで、豊富な解説とともに展開がされていました。中世〜近代のヨーロッパの歴史、諸国の関わりをも改めて勉強する機会にもなりました。

 

中でも、特にイギリスらしいなと思う作品も何点か。宗教画を書くことが格式高いと思われていたルネサンス期を経て、イギリスと、運河を使用した経済の発展を遂げたオランダで、人物の肖像画を書くことが、富のステータスになっていく背景。

画家一人ひとり、肖像画を書く中でも、その人の個性を活かす技法や工夫がされていたことを学びました。同じ「画家」という仕事のひとつとして、「肖像画」を描くことの中でも、自分のライバル画家との差別化を、それぞれ頭を悩ませていたのですね。

 

特に私が印象に残った肖像画の作品は以下の2つ

トマス・ゲインズバラ作の「ジドンズ夫人」、フランシスコ・デ・ゴヤ作の「ウェリントン公爵」です。

「ジドンズ夫人」は、当時名を馳せた悲劇女優で、特にシェイクスピアマクベス夫人を40年演じたそうです。その演技力があまりにも卓越していたそうです。

ゲインズバラは、舞台上のジドンズ夫人を描く画家が多い中、舞台上にいない個人としてのジドンズ夫人を描き、その肖像がとても切ない表情をしています。舞台女優ならではの、プライベートでの衣装の繊細さも描かれていました。

ウェリントン公爵」は、勲章を多く掲げた当時の成功者ですが、目が虚ろでどこか遠くを見ているように感じます。音声ガイドでは、ゴヤウェリントン公爵の表情から、勲章のない姿、つまり、彼の人間らしさを描こうとしたのではないかと解説していました。しかし、それでも当時の公爵ご本人は気に入らず、勲章の位置を何度も書き換えさせたのだそうです。自己顕示をすることが、当時の公爵にはとても大切だったのですね。でも、こういう人間らしい逸話を聞くと、同じ絵を鑑賞するにしても、その絵に込められたストーリーに馳せる思いが変わってくるものですね。

 

当時のイギリスで、自分の肖像を残すことは、自己肯定をするためのひとつの方法だったのかもしれませんね。自分に自信をつけたり、奮い立たせたりするために、自己を認める何かが必要だったこと、弱い部分は見せないようにすること。いつの時代も人間の本質は変わらないのだなあと思いを馳せました。

 

また、歴史的に私が今回学んだのは、「グランド・ツアー」と呼ばれる、イギリスの要はスタディツアーのようなものの存在です。18世紀ごろのイギリスで、貴族や富裕層は、学校を卒業した記念にヨーロッパを巡るツアーがあり、その終着点がイタリアだったのだそうです。

それを見越して、イタリアの画家たちは、イギリス人富裕層のために、美しいヴェネツィアの風景画などを多く残し、そのグランド・ツアーのお土産になるように残したようです。

カナレット作の「ヴェネツィア:大運河のレガッタ」が、街のカーニバルの一つであるレガッタレースの様子を見事に躍動感あふれて描かれておりました。近年、宝塚の花組で観た、CASANOVAヴェネツィアが舞台の作品)のカーニバルを彷彿とさせるような、煌びやかな装飾の船がまた、私の印象に残りました。そして、宝塚の大道具や世界観も、このような絵画からインスピレーションを受けているのだろうかと、想像するのもまた楽しかったです。

 

時代とともに芸術家に求められるものは変わっていき、その中でも、モネやルノワールドガが「印象派」として個展を開き、最初は全く認められないながらも、自らが描きたい手法を貫き、だんだんと世間に認められていく様も表現されていました。

 

ゴッホの「ひまわり」が今回の展示のメインとなっていますが、有名なひまわりが7作も存在すること、そして、彼にとってとても大切な意味が込められた1作が、今回日本に初めて展示されたこと。

この裏に込められたストーリーもまた、芸術家の悲しい運命を物語っていました。

 

ここまでしっかりと美術展にどっぷりと浸かったのは、とても久しぶりでした。

今回の展示は、歴史から当時のニーズ、芸術家が求められた立ち位置や個性の出し方、絵の中の人について、、たくさんのことを考え、かつイギリスから見たヨーロッパ諸国との関係性が見られる、大変深い内容でした。

 

全てが日本初公開の作品ということだったのですが、改めて作品ひとつひとつの絵の技法や荘厳さや、教科書でおなじみの作品が実は結構小さいなどなど、様々な発見がありました。

 

通常期でしたら、都内の美術館でこんな充実した時間を過ごすこともなかなか難しいと思います。この様な文化に、どっぷりと触れること機会は本当に貴重だと、改めて感じざるを得ませんでした。

 

そして、ロンドンから作品をお借りし、日本で展示するに至るまで、構成から、作品選び、作品を展示するためのナショナルギャラリーとの交渉、どれほどの期間を要したのかと思うと、そのお仕事をされた皆様にも、敬意を感じてやみません。

文化を世界に広めていくなんて、とてもデリケートですが素晴らしいお仕事だなと、そして、ヨーロッパにある名画の数々を、日本で見られる贅沢さに、改めて感謝をしなければならないと思わされた1日でした。

 

それにしても、昨年やっていたハプスブルク展も、行きたい行きたいと思いながら、行かれなかったことを今更ですが本当に悔やまれます。美術品を愛でたり勉強したりすることは、心に余裕がないと本当にできないことなのかもしれませんね。。これからも心の余裕を見つけられる練習をしなければ、と心も新たにいたしております。

 

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展は上野の国立西洋美術館にて2020年10月18日まで開催されています。皆さんもぜひお運びください。