The World of M

大好きなことやもの(演劇・読書・ときどき日常)を徒然書いています

宝塚歌劇 月組「グランドホテル」人物考察 私たちの心に住まうそれぞれの"人生"

グランドホテルがあまりにも好きすぎて、ここまで書いて参りました私のグランドホテル考察ですが、この記事で最終回にします。

この記事では、特に私が心に残った登場人物の「人生」と、私自身が共感した彼・彼女らのキャラクターの側面から、作品の魅力をさらに深掘りして行こうと思います。

 

ちなみにこの記事を書きたいがために、今日久しぶりにグランドホテルのブルーレイを観たのですが、当時の自分が置かれていた状況で感じたことと、また新しい感情が生まれて、人間って、人生でいろんな経験を積んで、知っていると思った舞台作品で、違うものが響くようになっていく。だから同じ作品を何回も観てしまうのですよね。

 

そして、毎度のごとく申し上げますが、これは私の個人的考察になりますので、違う見方をされている方もいらっしゃると思いますが、お読みになってくださる方は、悪しからず、お付き合いくださいね。過去記事は以下からアクセスください。

 

 

worldofm.hatenablog.com

 

 

worldofm.hatenablog.com

 

 

フェリックス・フォン・ガイゲルン男爵

男爵は、容姿端麗の貴族で、お金に全く困っていない風を見せかけています。彼はとてもプライドが高く、自分が若く魅力的な男爵であることを自負していて、女の子たちが彼に寄ってくることもわかっている。グランドホテルからチェックアウトしないでそのまま居続け、お金を払わないでいられるということも知っています。「生きることにかけては天才的である」と自分でも言っている通り、自分が思うままに生きていて、人生はゲームとして楽しんでいます。しかし、周囲には絶対に見せませんが、実はお金がないことにとても焦っているのではないかと思います。そして、「若く快活で容姿端麗な貴族」の自分が、実はお金がなく、借金の返済に追われ、盗みを働いているていることを、絶対にバレたくなく、周りには見栄を張っているのだと思います。

自分が盗みに入ったグルーシンスカヤの部屋で突然恋に落ち、彼女に、今まで自分が感じたことがなかった心の拠り所を見つけ、初めて自分の弱み、つまり、実は自分がお金を持っておらず、盗みを働いていることを、愛する人に打ち明けます。恋に落ちて、弱みを見せられる相手を見つけて、初めて心に安らぎと余裕が生まれ、他の人に親切にできるように成長していったのではないかと思います。グルーシンスカヤと恋に落ち、自分をさらけ出すことで、彼の愛を表現するシーンも、本来の彼は実はとても純粋であることを表現しているのではないかと思います。

愛する人ができることで、自分の心の中に余裕が生まれ、人に優しくすることができる。ひとつの素晴らしい恋が、どれほど人の心に影響をもたらすか、そして、皆がきっと経験したことがあるであろう、この愛の力を、思い出させてくれる存在として、作品に位置付けられているのだと感じます。

 

エリザヴェッタ・グルーシンスカヤ

グルーシンスカヤは私が上演当時、本当に一番感情移入した人物です。自分が選んで、愛して身を投じたバレエという世界に、もう何も感じなければ、歳をとった自分を求める人はもう誰もいない。そんな人生を完全に諦めていた時に、男爵と出会い、恋に落ちます。私は、このシーンが世界で一番美しいと思うのです。

自分に自信がなくて、自分がいる世界の全てが灰色に見える時、人生において誰でも経験があると思うのです。女性としての自分はもう終わった、と諦めきっていた時、若くチャーミングな男性が、自分のことを魅力的であると、本気で言ってくれ、愛してくれる。その瞬間、きっとグルーシンスカヤの世界は彩りに満ち溢れ、本当に、止まっていた世界がくるくるとまた動き出したのです。

自分が失った自信を取り戻すことは、自己肯定感が低くなればなるほど、難しいのだと思うのです。でも逆に、自分を肯定してくれる人、この場合は、自分が女性として魅力的なのだと思い出させてくれる人物が現れたら、その瞬間に世界が輝き出すのです。私は公演中、自分の人生の中で、まさに全く同じ経験をしました。「この愛、人生に、おはよう」という美しい歌詞は、もう一度自分が生まれ変わり、人生への情熱や、彼女の人生の目的である「踊ること」への愛情を取り戻した姿が表現されていて、だからこそ人は、その姿に勇気をもらい、そして、本当に美しく映るのだと思います。

 

オットー・クリンゲライン

私は彼は、物語の中で「人生を探す」すなわち、「人生の目的」という命題を一番表している登場人物だと思っています。ユダヤ人で、周りから差別を受けてきた人生。友達もいなくて、仕事を頑張って結果も出したのに会社に裏切られた。そして、病気になり、余命も残り少なくなってしまった。気づいたら自分の人生は、楽しみも目的も何もなく過ぎ去っていき、残りの短い自分の人生の意味を見つけるために、グランドホテルにやって来ます。

私は、オットーは本当に今まで生きて来た中で、普通の人が普通に楽しむこともを経験したことがなかった中で、男爵やフラムシェンとの交流から、人の優しさに触れ、人生の楽しみ方を初めて味わったのだと思います。特に私は、フラムシェンがオットーを踊りに誘う時「僕と踊りたいと言ってくれた人など今まで誰もいなかった」と言います。

ずっと後ろ向きな思考だった彼は、グランドホテルでの経験を通して、前を向き歩いく大切さに気づいていきます。人生は素晴らしいことに満ち溢れていて、物事も、捉え方次第でポジティブに変えていける。そう気づいてグランドホテルを後にするオットーの姿は、あまりにも美しく、私たちにも前を向くことの大切さを教えてくれる存在でした。「クリンゲライン閣下にお車を!」という周囲からのセリフが、オットーが自己肯定できた様子を表現されているように感じ、感動をするのだと思います。

 

フラムシェン

若いフラムシェンは、自分が可愛いと知っていて、努力はしていないけれど、なんとなくの憧れから「ハリウッド女優になりたい」という夢を持っています。しかし、実現方法はわからないし、そのための努力をしているわけではありません。グランドホテルで仕事を探している時、ハンサムな男性にナンパされ、「私、やっぱり魅力的なんだ」とちょっと自信がつき、そのナンパして来た男が男爵だと知ると、もうすっかり自分は男爵の相手と思い、ハリウッドに行く夢など一瞬どこかに消え去ってしまいます。

しかし、男爵が恋をした相手が自分ではないと知った時、自暴自棄になり、プライジング社長についてアメリカに行くという、危険なビジネスに乗ることを決意します。「この人と結ばれて貴族になって、お金持ちになって幸せになるんだろうな」と、思っていた人の、意中の人が自分ではないと知った瞬間。なんかもうどうでもよくなって、自暴自棄になり、後からそれは大きな間違いだったと気がつく人間の愚かさを表していると思います。

私は、このフラムシェンのこの性格って、人間誰しもが持っている側面だと思っています。自分が理想とする姿と現実のギャップに苦しくなり、自暴自棄になること。彼女のセリフにもあるように「人間ってきっとそうなのよね、お金がなくなって、着ている服が流行遅れになって・・・」とにかく今の自分のいる環境から抜け出したい。そんな誰しもの中に住まう感情を、フラムシェンというキャラクターが表現していて、だからこそ、私たちは共感し、憎めず、愛おしく感じてしまうのだと思います。

 

ラファエラ・オッタニオ

ラファエラですが、私はサザーランドさん演出版も観たので、余計に感じたのですが、宝塚版でもう少し深掘りしてほしい人物でした。ラファエラは、グルーシンスカヤの献身的な付き人ですが、グルーシンスカヤを女性として愛しています。今から90年ほど前のベルリンが舞台であるこの作品、同性愛が認められているわけもなく、ラファエラ本人も、グルーシンスカヤへの愛を本人に伝えることは絶対にできず、最後まで献身的にお世話をするという形で、自分の愛を貫き生きて行こうと思っているわけです。

しかし、グルーシンスカヤにとって、頼れる人がもう自分しかいなくなり、女二人で静かな余生を過ごしたい、と考えていた矢先に、グルーシンスカヤは男爵と恋に落ちます。ラファエラにとって、ここで恋敵が出てくることは全くの想定外で、しかも、同性愛者ではないグルーシンスカヤが、自分のことを愛することはないとわかっている。つまり、突然現れた若い男爵は、自分が敵う相手ではないと最初からわかっていて、やり場のない嫉妬の感情を、どこにもぶつけられない苦しさが、彼女の歌う「彼女に要るのは頼れる人ね」という歌に込められているのだと思います。しかし、いくら嫉妬をしていても、男爵が死んだことは、絶対にグルーシンスカヤには言えない、なぜなら彼女がそれで大変な傷を追うことになるから、、これこそ、ラファエラの本当の愛であり、それがわかっているから観ている側はまた苦しく、切なくなるのでしょう。

振り向いてもらえないとわかっているけど、その人のことを愛し続ける、彼女の最大限の愛情を、グルーシンスカヤが全く気づいていないところも、また哀しさを誘い、私たちの人生の中で登場する、そのような苦しい感情を、同性愛に苦しむキャラクターとして描かれている、非常に重要なキャラクターだと感じました。

 

エリック・リトナウアー

唯一、ホテルで働く側の登場人物としてスポットが当たる登場人物です。当時のベルリンのブルーカラーの働き方を代表する表現がされているように思います。「職場を離れるとクビになる」と、奥さんの出産現場にも立ち会えませんが、私たちも、仕事を失うのが怖くて、そういう感情になること、残念ながらあると思うのです。

作品の最後で、エリックの息子が生まれるという出来事を通し、いろんな人生が交差し、人生は至る所にあり、そして人生はそれでも続いていく、、本作品の命題を表現していると感じます。ホテルで、それぞれの"人生"が繰り広げられた一夜の後、皆がチェックアウトしていくところで、エリックが「ようこそ人生へ ヤング・エリック」と最後に歌います。人生が繰り返されているところを、まさに表現していると思うのです。

エリックはそこで初めて、この作品の共通するテーマである「人生の目標」つまり、自分の息子の全ての望みを叶えること、を見つけるのです。

 

ライジング社長

私は、このキャラクターも、ラファエラ同様、もう少し深掘りして欲しかったなあと思う存在です。トミー・チューンさんのブロードウェイオリジナル版にも、サザーランドさん版にも、プライジング社長がご自身の苦悩を表現される楽曲も実はあるのです。それが宝塚版では演出の都合上、削除されていたので、彼の本来の姿は見えにくい構成になっていたのが、本当にもったいなかったなあと思っています。

ライジング社長は、確か婿養子で社長になっていて、傾きかけている自分の会社に対して、大変な焦りとプレッシャーを感じていたのだと思います。そして、「ボストンとの合併ができなければうちの会社はおじゃんだ」と冒頭で言っていますが、サザーランドさん版だと本当に合併できず終わってしまうんですよ(で、オリジナルもおそらくそう)。そのような背景から、プライジング社長は、自分の家族に合わす顔もなく、自暴自棄になり、たまたま見つけた若い女の子であるフラムシェンに、自分の心の拠り所を見つけようとしたのだと思うんです。

もちろん彼がしたことは良いことではないですし、最終的には男爵のことを殺してしまいますが、、その犯罪の裏にある、尋常じゃないプレッシャーやストレス。そのような心的なものが、ごく普通の人を、意地悪な人間に変えてしまったり、狂わせてしまったりするという、哀しい人間の側面が、プライジング社長を通して表現されているのだと思うのです。

 

最後に

本当に、私はグランドホテルは見れば見るほど深いメッセージがいろんなところに散りばめられていて、自分が置かれている状況により、感情移入する人物が変わり、感じ方も変わる、素晴らしい作品だと信じています。人間が持っているいろんな感情、愛や素直さ、前向きな気持ちだけではなく、苦しさや悲しさ、嫉妬心、プレッシャーさえも、キャラクターを通して表現されているこのミュージカル。全部私たちが人生で持っていて、通る感情の数々。

私はこの作品に出会えたことは、自分の人生にとっての財産だと思っており、ずっとずっと大切な作品であることは変わらないでしょう。

そして、本当に、この作品を作り上げた当時の月組の皆さん。。。この作品に出られたことそのものが、既に日本のミュージカル界でひとつ抜きん出た財産だと思います。

月組のみなさんの、その表現力と団結力の素晴らしさに私は感動し、東京公演は「こんなに美しいものは人生でもう二度と観られないだろう」と、毎週のように劇場に通いました。

だいたい毎度放心状態になり、2幕の「カルーセル輪舞曲」は、テキーラの場面ぐらいまで上の空で、テキーラで「珠城さんはこのシーンはテキーラと叫んでいるだけなのに、なぜこんなにかっこいんだ」と目がさめる、そんな日々でした。

 

ぜひみなさんの解釈も聞いてみたいです。そして、この作品を上演してくれた、梅田芸術劇場宝塚歌劇団に、感謝しています。私たちがこのような素晴らしい作品を、これからもずっと平和に観られる未来が続くことを、心から祈っています。