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現代の世相と「風と共に去りぬ」 映画版・宝塚版の考察と、「メンターシップ」について

"BLACK LIVES MATTER" Movement が世界中で巻き起こっていますね。

その影響を受けて、映画「風と共に去りぬ」中にある黒人奴隷の描写が、「差別だ」として非難されています。

アメリカの動画配信サービスサイトでは、配信を止めるなどの措置が取られているようです。

「風と共に去りぬ」米動画サービス、人種偏見理由に配信停止 - 産経ニュース

 

Blackの方々からすると、屈辱的な歴史であり、それを肯定するものを見るのは、耐えられないのだろうと思います。そして、その意見をもちろん尊重し、私も"BLACK LIVES MATTER" Movementには賛同しています。(というか、"ALL LIVES MATTER"ですよね)

 

まず大前提として、現代を生きる私たちの中で、人種差別は起こってはいけないことです。

一方で、現代社会を生きる私たち、特に私たちのような「ミレニアル世代」の考え方と、原作の時代(南北戦争前中後である1860年代のアメリカ)と、発売当時(1936年に発売)の世相や考え方は全く違います。

 

南北戦争時代、つまり1860年代前半ですが、そもそも日本は明治維新前。ヨーロッパ諸国で革命が起こり「自由・平等」について市民権を得ようとした50年後ぐらい、そんな時代です。

私は、「風と共に去りぬ」は、現代のアメリカを作った歴史的出来事の一つである、「南北戦争」の、特に南部の当時の生活様式や考え方、それがどのように変化を遂げて行ったのか、についての貴重な歴史的資料であり、決して奴隷制度を美化しているものではないと思っています。

ただ、物の捉え方は人それぞれです。私のこの考え方に共感される方もいれば、否定される方や非難される方もいらっしゃるでしょう。

いかなる文学作品においても、物語の視点は、主人公が属するグループの目線に偏ります。実際、映画に出てくる黒人奴隷のキャラクターは、どちらかというと「家政婦さん」のような役割で、貴族の家に仕えていて、そこでとてもよくしてもらっている、という設定です。その設定の背景から、「奴隷制度を美化している」という意見が生まれるのだと思いますし、おそらく現実はそうではなかったらこそ、そう感じられる方がいらっしゃるということは、現代を生きる私たちは学び、受け入れていかなければいけないと思います。

そして、なかなか難しいとは思いますが、過去のこのような作品について、世界中のみんなが納得する形で、守っていける術を見つけ出すことが、これからを生きる私たちの使命なのかもしれません。

 

私はまず、「風と共に去りぬ」は、素晴らしい作品だと思っています。今日はあくまでも、私が本当に名作だと思っているこの作品について、書いていきたいと思います。本当に、奴隷制度を美化している訳ではないことを、まず最初にお断り申し上げ、ご興味のある方は以下、進めてお読みいただければと存じます。

 

まずお断りしておきますが、私の考察の中にも大きくネタバレがありますので、お読みになる方は、どうぞ目を細めて読んでください。

 

⭐️あらすじ(Amazonより抜粋)⭐️

スカーレット・オハラよ、永遠に。
全世界で永遠の記憶に残る、マーガレット・ミッチェル原作の不朽の名作。


1861年アメリ南北戦争直前のある日、ジョージア州タラで、大園遊会が開かれた。いつもパーティーの女王であったスカーレットは、その日、心に決めていた男性アシュレーと彼のいとこのメラニーの婚約が発表されると聞き怒り悲しんでいた。その夜、ついに南北戦争が勃発。激動のアメリカを舞台にスカーレットは強く、激しく生きていく。1939年度に、作品賞、監督賞をはじめ10部門のアカデミー賞を独占したビビアン・リークラーク・ゲーブル主演で贈る映画史上に残る永遠の傑作。

風と共に去りぬ [DVD]

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  • 発売日: 2010/04/21
  • メディア: DVD
 

 

そもそも、私はこの作品は「スカーレット・オハラ」という貴族のお嬢様が、戦争を通し、過去の栄光(資産・土地・南部貴族であることの意義など)を失う中でも、逆境に立ち向かい、強く逞しく生きる成長物語だと思っています。

美しいスカーレットは、プランテーションで財を築いた家系の貴族のお嬢様で、周囲の「南部貴族」の男性からの憧れのまとです。しかし、そんな彼女に対して、周囲の女性たちは最初から良い顔をしていません。

なんでも手に入れることができるお嬢様のスカーレットにとって、心から愛している幼馴染のアシュレーだけは、どうしても手に入りません。アシュレーの家で行われた園遊会で、スカーレットがアシュレーに愛を告白しますが、そのパーティーで、アシュレーは、本人の従姉妹であるメラニーとの結婚を発表します。そして、その「愛の告白」を、たまたま園遊会に参加していた「レット・バトラー」に見られ、それ以来彼女はずっとレットのことを毛嫌いしています。そして、結婚発表の直後に、南北戦争が勃発します。

アシュレーが結婚した腹いせに、スカーレットは意中でない人の求婚を二つ返事で受けますが、夫も戦場ですぐに病死。若くして未亡人になったスカーレットは、もともとパーティーなど派手好きな性格もあり、喪中でも人前に出るなど、相変わらず周囲の女性から反感を買います。しかし、アシュレーの妻であるメラニーだけは、スカーレットを分け隔てなく扱い、本当の優しさで包み、一緒にアトランタで生活します。

そんな中、出兵中のアシュレーからも、身体の弱いメラニーを守ってくれるようにと頼まれます。メラニーに対して、スカーレットは「自分の好きな人を取られた」とずっと根に持っていますが、アシュレーの頼みだからと、メラニーを守ることを約束します。

 

やがて南部は北部に敗北し、南部の美しく広大なプランテーションは荒れ果て、かつての豪邸、南部貴族が所有していたものは、北部の人間に取られてしまいます。大プランテーションの所有者だったオハラ家の財産は尽き、今日食べるものもない状態になってしまいました。働いたことのなかったスカーレットは、家に仕えていた奴隷のマミーたちとともに、プランテーションを一から耕すところから、再出発をします。

父親も母親も、戦下で亡くなり、家族の土地や妹たち、親戚たち、一家が雇っている奴隷の生活も含め、愛する人を北部の人間から守るために、一家の長として、スカーレットはどんな汚い手でも使ってでも、それを守り抜くために働き続けます。

そこで手を差し伸べるのが、冒頭で出会ったレットです。レットもまた、南部の人間でありながら、「戦争が起きたら南部は負ける」と、南部の人間でありながらも豪語したり、北部の人間と商売をしたりしており、周囲から白い目で見られます。やがて二人は結婚し、大豪邸を築き上げますが、アシュレーとメラニー夫妻以外は、スカーレットの妹たちも含めて、彼らを軽蔑した目で見ていました。

しかし、どうしてもずっと「自分はアシュレーを愛している」と最後まで思い込んでいるスカーレット。そして、そのことを知っているレットは、あることをきっかけに、「スカーレットは自分のことを見ることはない」と、彼女との関係にピリオドを打ち、彼女の元を去るのです。レットが去る時に初めて、スカーレットは、「本当に愛しているのはレットだ」と気がつくのですが、それでもレットは彼女の元を去っていきます。

また全てを失ったスカーレットは、泣きながら、でも決意も固く「そうだ、またタラ(実家のプランテーション)に戻ればいい、そこからまた始めればいい」と立ち上がるのです。

 

 

もう完全にストーリーを全部書いてしまいました。このお話、映画は4時間ぐらいあるんです(うろ覚え)。個人的な話になりますが、私はこの映画を中1の時に初めて観ました。当時の私には話の内容も映像も刺激が強すぎました(笑)

アトランタで、スカーレットとメラニーが看護師として、負傷兵のお世話をするシーンがありますが、そこで、負傷兵の脚の切断手術を、「麻酔がないからこのまま切る」ことになり、負傷兵が悲痛な叫びをあげます。中1の私はもうそのシーンで一回ギブアップし、一度この映画とは距離を取ることに決め、中2ぐらいになってから実に1年越しに続きから最後までを観ました。

まあでも、当時の私よ、意味もわかってないのに、よく見ようと思ったよ。おそらくもうこのブログを読んでくれている人にはわかる通り、当時は結局、歴史的背景も含めて、全部は理解せぬまま大人になるわけです、私も。(笑)

 

しかし風と共に去りぬは最初のトラウマがありつつもすごく好きな作品で、もう一回見ようと思った理由は、音楽の美しさと、お衣装の美しさと、あと主演のヴィヴィアン・リーの美しさなんだと思います。

なので、私は今でも、機会があれば風と共に去りぬは観ちゃう人です。

 

大人になってからこの作品を見て思うのは、これも様々な人間模様が交差していて、南北戦争が主軸テーマとして、それぞれのキャラクターが戦争を通していろんな苦悩をしているわけです。

いろんな見方を掘り出そうと思えばこのブログは何ページにもなってしまいますが、私はこの作品の醍醐味は、スカーレットとメラニーの友情と、様々な人間関係の中に交差する、周囲からスカーレットへの「メンターシップ」にあると思います。

 

南部貴族の奥様たちは、最初から最後までスカーレットのことが嫌いで色々嫌味を言います。でもそれを物ともせず、はねのけて、「自分が一家を支える」ためにどんなことでもしようとするスカーレットは、本当は、一家に仕える奴隷も含めて、家族と、家族が築いた土地への愛情を誰よりも持っていて、ただ、気の強さから、それを表現する方法が下手なために、反感を買ってしまうのでしょう。

そんなスカーレットとは対照的に、皆から慕われるメラニー

南部のために戦う兵士たちへの寄付を集めるバザーで、娼婦の方(白人です)が寄付をしたいと申し出ても、南部貴族の奥様たちは「そんな汚いお金は受け取れない」と断ります。でも、メラニーだけは「南部のために寄付をしてくれてありがとう」と、お金を受け取るのです。

メラニーだけは、最初からスカーレットを「姉妹」として扱い、スカーレットを優しく諭し、一緒に負傷兵の看護に協力するように、彼女の行動を変えたり、みんなから反感を買うスカーレットを「彼女のおかげで私たちは生活ができている」と感謝の気持ちを最後まで持ち、周囲に伝え続けます。

スカーレットは、最初から最後まで、自分の愛するアシュレーを奪ったメラニーのことを「好きじゃない」という態度でずっと接するのですが、それでも、一緒に時間を過ごすうちに、メラニーのことを本当は誰よりも愛していたんだと思うのです。

差別や偏見、これは今謳われている黒人奴隷に対してでなく、この作品の中では、「白人の貴族出身の女性はこうあるべき」と言う固定観念に囚われている、敗北した南部の人間たちが、スカーレットを一方的に「区別」するようにも見えますし、その観点で言うのであれば、今の時代、「女性蔑視だ」とかそう言う議論が上がる方が、「黒人差別」よりも正当な気がするんですけどね。

その中で、メラニーは身分を分け隔てなく、全ての人に慈しみと優しさを持って接し、皆から厚い人望を持っています。その行動を示すことにより、スカーレットは本当はメラニーをとても愛していて、誰よりもメラニーの生活を守るために頑張ったのではないのかなあ、と思ったりします。

きっとスカーレットは元からとても頭が良く、経営のスキルがありましたが、時代的に女性がそのような力があることが受け入れられなかった。そこを褒めて感謝し伸ばし、成功に導いたのは、メラニーの存在が大きいのではないかと思います。

人によって強みは違いますが、メラニーは、スカーレットには才能があることを認め、それを受け入れ、それを伸ばす行動を、無意識に促したのではないかと思います。それは、メラニーが意識的にやったことではなく、彼女がスカーレットに対して、愛情を持って接する中(優しさや褒め方、彼女の存在の認め方)で、自然に醸成されたのではないかと。

人の能力を伸ばす方法って本当にいろんな形があって、メラニーはそれができる人だったのだと思います。これってもしかして、メンターシップの形の一つでは??

 

書いているうちに楽しくなっちゃって方向性がかなり変わってきましたが(笑)、私は他のキャラクターも本当にいろんな特性を持っていると思います。

 

アシュレーは、スカーレットに確実に惹かれながらも、気性の荒いスカーレットと、情熱的な恋に溺れるよりも、良い妻・母として家を守ってくれる能力が高そうなメラニーを選びます。多分スカーレットのことは好きだけど、上手くいかないと見抜いていたんでしょうね。まさに安定志向である男性を表現しているアシュレー。それでもたまにスカーレットの魅力にぐらつきますが、メラニーとは、夫婦としていろんなことを乗り越えるうちに、恋愛とかそう言う枠を超えた本当の愛情を育んで行きます。

 

対してレットは、何事にも飛び込んでいって、自分が良い思いをするためには妥協しないタイプ。たぶん良いお家柄だけど、品行方正を守ることとかよりも、楽しいことが好きでお金儲けが好きで派手好きだから、スカーレットとは人生の目標も共にできる。そしてとっても魅力的。レットも、陰ながらスカーレットを応援し、まあ映画なんであるあるなんですけど、必要な時にタイミングよく本当にひょこっと現れて、スカーレットに手助けをします。たまに、厳しい言い方をして、突き放しもします。それでも、レットはスカーレットが成功することを誰よりも応援していて、努力するその姿に心底惚れていくわけです。この、要所要所のレットとスカーレットの会話も、レットがスカーレットの「良きメンター」となり、導いているようにも見えます。

ちなみに、レットは、スカーレットが大切にしている人・物・ことを、全力で一緒に愛します。特に私は、奴隷のマミーに、「ヨーロッパ土産だ」と綺麗なペチコートを買ってくるところが可愛くて大好きです。

でも、最後に、レットは、「これだけ楽しい時間をたくさん一緒に過ごして一緒に色々やり遂げたのに、彼女は俺を一ミリも愛してなかったんだな」と言う思いで去っていのだと私は解釈してまして、本当に辛い。

本当はそうじゃないの、スカーレットが気づいてないだけなの!!レットが去る5分前に「私は昔のアシュレーの幻をずっと愛してきただけだった、本当に愛しているのはレットだ」ってなるのに、時すでに遅し、二人は別れることになります。

もうね、生きてるとこう言うことってあるよね。男女の関係なんて本当に、どうってことない誤解のすれ違いでうまくいかない。もう本当、これが現実であり人生なのよね。

なので、私はこの作品が恋愛的にはハッピーエンドじゃないところがまた、現実味があって好きです。←

 

あと、問題として今注目されている、本作品の奴隷問題ですが、作中の黒人奴隷の「マミー」は、オハラ家の肝っ玉母さんのような描かれ方で、自分が仕えているスカーレットに対しても、「淑女としてそんな格好をしてはいけませんだ」と、ちゃんとダメなものはダメと言います。その言い方の日本語字幕を、私はとてもチャーミングだと思ってます。

破天荒なスカーレットに振り回されることもありますが、最後まで「南部貴族としてのあり方」と、「スカーレットが始めた新しい生活」の間で、うまくスカーレットを手助けしていたのは、マミーだと思います。もちろん映画なので、貴族と奴隷の関係が美化されているという意見は、きっとそうなのかもしれません。でも私は、マミーはこの作品の中で、スカーレットの成長を支えるキーパーソンとなる、とってもとっても大切な役で、愛されている役だと思うし、これもメンターシップの形の一つなんじゃないかなと思ったりするんですけどねえ。

でも、なんども言いますが、これは私の見解なので、アグリーしない方、ごめんなさい。

 

ちなみに、「メンターシップ」って、日本ではまだまだ馴染みがない言葉だと思いますが、欧米の会社では取り入れられている制度で、自分と全く利害関係のない上席者とペアになり、仕事や人生のアドバイスをしたり、困っている時にアドバイスをしたりします。

私は海外でキャリアスタートさせていますが、自分の別の部署のヘッドの方や、グループ会社内の別事業部のヘッドの方が私のメンターとして、それぞれ1年ずつおつきあいをさせていただいたことがあります。

メンター制度って、本当に形はそれぞれですが、私はこの制度の醍醐味は、現場で常に一緒にいないからこそ気づける、その人材の本当の「強み」を見出し、教え、導くことではないかと思います。そして、メンター側にも、アドバイスを与える中から、気づきがあるようです。普段接する部下たちが、どんな悩みを抱えているかを探るヒントにされていたり、自分の考えを整理したり。上手く回れば良い制度です。

風と共に去りぬを、企業の組織的な側面を頭に置いてみた時、私は、「メラニーとレットとマミーは、スカーレットの素晴らしい影のメンターだ」と、この文章を書きながら思いました。

 

宝塚でも昔から何度も再演されている「風と共に去りぬ」ですが、私は2014〜2015年の月組公演を、映像で観たことがある程度です。この作品も1970年代から、歴代いろんな方が演じられている作品ですが、映画版よりも、宝塚版の方が、南部貴族の身分に対する「区別」やスカーレットへの敵対心は、強く描かれているように感じます。この映画の超大作を、大衆演劇として、宝塚の尺の中に落とし込むには、いろんな試行錯誤がされた結果の脚本なのでしょう。

私が観たことあるものは、当時の月組トップスター、龍真咲さんがスカーレットを、専科の轟悠さんがレットを演じられていましたが、まず、このキャスティングが素晴らしいですよね。轟さんのレットはもう完璧、映画からそのまま出てきたようなレットで、演技はもちろんなのですが、もう、とにかくかっこいい。龍さんのスカーレットは、龍さんご本人の持つ強さや、逆境を切り開いていく意思が、すごく良く表現されていました。いろんなご意見あると思いますが、私は龍さんスカーレットが好きです。あと、やっぱりマミーが舞台を締める役割をしていて、誰がマミーをやるかで全然変わるんじゃないでしょうか。とにかく、マミーの汝鳥伶さん、理想のマミー像、本当に素敵な役者さんです。

 

月組 梅田芸術劇場公演DVD 『風と共に去りぬ』

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宝塚版は、映画よりも、南部の人間が、敗戦したことを認められず、古い観念に固執したり、「昔はよかった」と回顧したりするシーンが顕著に描かれているように思います。そういう意味では、映画版よりも、前に進もうとするスカーレットの強さと、相反する南部の古い人間たちの描写が、「わかりやすく」作られているように思います。

特に、劇中でアシュレーが歌う「故郷は緑なり」という楽曲(素晴らしい楽曲です)が、過去の南部の栄光にを思い出し、敗戦後の南部や、華やかだった暮らしから一変してしまった自分の立場や生活を、なかなか認められず、苦しむ様子が表現されているように思います。

映画版とは違うものとして、観ていただく方が楽しめると思います。

 

私、本当に「風と共に去りぬ」は素晴らしい作品だと思っていますので、ごめんなさい、テンションが上がってしまって、こんなに長くなってしまいました。お付き合いをありがとうございました。

現代世相に合わせて、過去を排除するのではなく、過去を受け入れ、共存していくこと、素晴らしい文学作品を廃れさせないよう、ミレニアル世代の我々で後世にも伝えていきたい。共存できる道が、見つかるよう、心から祈っています。