The World of M

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宝塚歌劇 宙組「FLYING SAPA -フライング サパ-」 理想的な世界とは何かを考える

昨日8月11日、無事に宙組の「FLYING SAPA -フライング サパ-」の梅田芸術劇場公演が、千秋楽を迎えられましたね。本当にいつ舞台が中止になってもおかしくない状況下、通常以上の緊張感の中、千秋楽を迎えられましたこと、本当におめでとうございます。

様子を見ながら少しずつ進んでいる今の宝塚にとって、ひとつの公演が無事に千秋楽まで迎えられたことは、劇団にとっても大きな成果であり、一歩だと思います。

 

そして私は自宅からライブ配信で観劇しました。東京の日生劇場公演は9月。その際に機会に恵まれたらまた観劇したいです。

それにしても、このお話は私にとっては新鮮で、考えさせられる作品でした。私は好んでSF作品に触れることがないので、そう感じられたのかもしれません。今日も完全なる私的考察をして参ります。ネタバレ含みますのでご理解くださいませ。

 

⭐️作品紹介(歌劇団公式ウェブサイトより)⭐️

『FLYING SAPA -フライング サパ-』作・演出/上田 久美子
未来のいつか、水星(ポルンカ)。過去を消された男。記憶を探す女。謎に満ちたクレーター“SAPA(サパ)”。到達すれば望みが叶うという“SAPA”の奥地。夢を追い、あるいは罪に追われてクレーターに侵入する巡礼たち。過去を探す男と女もまた、その場所へ…。追撃者から逃れて、2112時間続く夜を星空の孤児たちは彷徨する。禁じられた地球の歌を歌いながら──

 

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理想の世界を実現させるための犠牲

私的には結構話が壮大すぎて、まだ消化しきれてないところもあるのですが、なんか人間の虚しさというか、理想を求めて周りが見えなくなってしまう人間の性とか、世界平和を求めるが故の過剰な理想とか、なんかすごく、総統01(ブコビッチ)に感情移入して観てしまいました。

地球で難民だったブコビッチは、戦時下で家族を失い、孤児のニーナを自分の娘ミレナとして、地球を離れてポルンカに一緒にたどり着くわけです。ポルンカでは、地球上にあった人類の如何なる違い(言語・宗教・文化など)を排除します。差別を受けてきたブコビッチにとって、自分が平和に暮らすためには、差別が起こらない世界が必要だったのでしょう。ポルンカでは、人々の脳内データを収集することによって、危険な思想を排除し、未然に争いや事故を防ぎます。自分の科学者としてのスキルを全部注ぎ込み、「平和」な世界を作りあげました。

しかし、その後継者のミレナは自分の過去を求めて、家出をし、「サパ」に行き、そこで自分の過去を見つけ、自分自身を見つけ出します。

 

主人公じゃない側に感情移入してしまうという変な体験かもしれませんが、まあ作品って観る人によって感じ方も様々なので、あくまでも私の見方として、楽しんでいただければと思います(笑)

私自身の理想的な物の見方ですが、世界が平和であるためには、人類が皆互いを尊重しあい、違いを受け入れることができる社会が実現できて、本当に争いのない世界が出来るんじゃないかと子どもの頃から思っていました。まあでも、現実的には人間ってやっぱり自分が可愛いし、自分と同じ匂いのする人を周りに置きたがるし、自分と似てない人やあまりにも違う人は排除する傾向にあると思うのです。

ブコビッチにとっては、自分の生まれた民族的な種が、そういう人間の醜い感情の犠牲になって、自分の家族までもが奪われてしまったわけです。このブコビッチのやり方には、それに反発をした仲間たち(科学を政治的な目的で利用することは倫理的に間違っていると考える人たち)がいます。その人たちを排除するという方法しか、残念ながら過去のブコビッチは余裕がなかったのではないでしょうか。

そんな自分や、自分のように苦しい思いをする人がこれ以上現れないように、ポルンカでは全てを統一し、中央政権によって完全に全てを管理することにより、平和を保つのが、彼にとっての最善の「愛する人」の守り方だったのではと思います。

でもやっぱり、人間って感情がある生き物だから、そういう彼のやり方で犠牲になった人たちの遺された家族や、反発してくる後継者のミレナが現れるわけですよね。

 

作品からのメッセージ

そんな理想的な社会でも、やはりもっと人間らしく、もう一度みんなの個性を尊重した世界を作る、という思いが芽生えるミレナたち。やっぱり人間って科学にコントロールされるものではなく、それぞれがそれぞれの思いを持ち、それを分かり合えることによって平和な世界を作っていきたい、という気持ちの現れなのかと思います。

月組で上演されたBADDYとも通づるところがあるなとなんとなく、上田先生つながりで感じてしまったのですが、Twitter見てると同じ考えを持つ方も多い様に思えました。

BADDYでも、「良いことをして天国に行く」ことが国民の夢である地球に、月から悪党たちがやってきて、地球の人々がずっと閉まっていた感情を思い出していきます。

 

 

私はBADDYはフィナーレの歌詞に全てのメッセージが込められていると思うのですが、特に愛希れいかさんの歌うパートの歌詞に注目して欲しいのです。

 

この素敵な世界は思ってるほど平和な場所じゃない

時には悪いこともあるわ 必ずしも愛の花は咲かない

だけどそんな世界で いつか一緒に歩こう 私とあなたの夢

そんな世界で愛し合おう Peaceful Paradise Peaceful Paradice

 

サパでも、Baddyでも、平和な争いのない世界を実現させた後に、それによって人間の愛しい部分である「感情」というものが抑えられているのですよね。でもそれって本当に幸せなのか。そういう個性とか感情を受け入れられて、みんなが平和になることが本当の理想なのではないのか。

もちろん上田先生がどんなメッセージを込めたかはわからないですし、あくまでも想像ですが、私は先生のSF作品を見て、互いの違いを受け入れることの大切さをひしひしと感じます。そして、いわゆる「平和な理想的な社会」が120%人々の幸せに通ずるとは限らないということも。感情があるから人間は美しくて、不完全だから世界は愛おしい。そう思いを馳せて作品を観てみると、不完全燃焼。とにかくサパはもう一回観てその時どんな感情になるか体験してみたいです。

 

新しい宝塚作品の在り方

宝塚でSFって珍しいし、まあ所謂昔からの宝塚っぽさをどこまでファンが求めるかにもよると思います。私は宝塚を通してこういう作品に初めて触れて、面白いと思いました。こういう作品に触れることで、SFをもっと観てみたい!と思う人も少なからずいるはずです。

でも、「これを宝塚でやらなくても」という意見を持つ人もいるわけです。作品の楽しみ方は人それぞれですが、私はこういう作品を宝塚を通してやるのは、生徒さんにとってもいろんな経験を積めて良いのでは。

大前提として、私は宝塚の華やかさとか美しさとか、何よりも王道のレビューが好きですが、必ずしも古い作品が現代のエンタメとして成立するとは思っていませんし、新しいジャンルが出てきても良いのではないかと思います。

以前、別のエントリーで、文化の継承について書いたのですが、宝塚も同じ様に、守るべき伝統は守りながら、形を変えて、新しいものを作って行くのも大事なんじゃないかな。

 

worldofm.hatenablog.com

 

ファンの私たちもこういういろんな考えを持ちながら、でも根っこは宝塚ファンとして変わらないはず。好き嫌いとか意見はそれぞれだけど、楽しむポイントは皆それぞれ。そういうのも受け入れあいながら、みんなでもっと宝塚を応援したいですね!

 

それにしても、宙組の皆さん、本当にお疲れ様でした。日生劇場もみなさん健康で、初日を迎えられますように!